不況の波が押し寄せるなか
業界初の1Mbit UV-EPROMを出荷
このあたりまではIntelとAMDの仲は比較的良かった。そもそもSanders氏とRobert Noyce氏も同じFairchild出身ということで良く知った間柄同士だった。それもあって1982年にはAMDが下の画像のような広告を打ったりしている。
画像の出典は、THE SPIRIT OF AMD
1981年初頭に陥った一時的な不況からも脱し、AMDのは3億5835万ドルもの売上を達成している。1983年にはAm7910 LANCEという、古い方ならひょっとしてご存知かもしれない10/100BASE-Tイーサネットコントローラーや16Kbit SRAM、64/128/256Kbit EPROMなどの新製品を次々に投入して売上を伸ばしていく。
1984年にはIntelの286を、やはりリバースエンジニアリングの技法で解析した結果を元に、Am286を出荷。さらに業界初となる512Kbit EPROMであるAm27C512やHDDコントローラーのAm9580などを出荷している。
ただ、この頃から業界には不況の波が押し寄せつつあった。1985年には9億ドルの売上目標を立て、実際にはこれを上回る9億3100万ドルの売上を達成したが、1986年には5億7600万ドルまで売上が落ち、3600万ドルの損失を出すに至る。
1987年はさらに状況が悪化、売上こそ6億3100万ドルまで戻したものの、損失は9600万ドルに増えている。こうした状況を受けて、同社は初のレイオフ(500人の一時解雇)を敢行する(これまでAMDはレイオフをしないのがポリシーであった)。
そうした中で、1986年は32bit RISC MPUであるAm29000が発表される(出荷は1988年に入ってから)。また1Mbit EPROMであるAm27C1024もこの年発表されている。
画像の出典は、THE SPIRIT OF AMD
2017年にはAm7910/7911 FSK Modem Chipが発表され、CCITT/Bellに準拠した300bpsの全二重/1200bps半二重のモデムが簡単に構築できるようになった。この頃になると低速な製品は価格破壊が進んでおり、こうした低価格向け製品に広く採用された。