AMD独自のプロセッサー「Athlon」が誕生
もう一度時計の針を戻す。訴訟騒ぎの一方で、AMD自身も着々と自身の体制を固めていた。1995年にはテキサス州オースチンのFab 25が操業を開始する(ちなみに立ち上げには14億ドルを要したそうだ)。この1995年には売上も25億ドルに達した。
1996年には組み込み向けに、x86としては初のSoCであるAMD Elan SC300/SC310を、翌年にはコアをAm486に更新したElan SC400/SC410をそれぞれ出荷開始する。1998年には同社のPLD(Programmable Logic Device:今でいうならFPGAをずっと小規模にしたもの)製品を扱う部門をVantis Corp.という子会社にしている。
そして1999年、AMDは初の「x86互換ではあるが、Intel互換ではない」K7ことAthlonプロセッサーを出荷する。IntelのPentium IIとは異なるSlot Aという独自形状で、バスプロトコルはDECのAlphaと同じEV6というプロトコルを採用するため、チップセットやマザーボードは独自の物が必要になった。
ところが当初Intelがチップセット/マザーボードメーカーに圧力を掛けた結果、CPUはあってもマザーボードが無いという状況に陥りかかったこともあったが、おおむね同年中には順調に出荷も開始され、しかもここから急速にIntelを追い上げることになった。
当初のAthlonは0.25μmプロセスを使うK7コアで、最大でも700MHz駆動であったが、プロセスを0.18μmに切り替えたK75コアはIntelのPentium III発売の2日前に、1GHz製品を出荷した。
2000年になるとパッケージをそれまでのSlot Aから新しいSocket Aに変更、製造プロセスを0.13μmとしたThunderbirdコアのAthlonが投入され、さらに低価格向けにDuronブランドも追加される。
その後、3DNow!に加えてSSEをサポートしたPalominoベースのAthlon XPを2001年に、より動作周波数を引き上げたThroughbredと、これのL2キャッシュを大容量化したBartonという2種類のコアがそれぞれ2002年、2003年に追加される。
実は2000年にはドレスデンのFab 30も稼働を開始していたが、ここは従来のMotorolaベースの0.13μm CMOSに代わり、IBMの0.13μm PD-SOIプロセスを採用しようとしていた。
ただこの転換は予想以上に難航し、当初Throughbred/Bartonは0.13μm PD-SOIベースの予定だったのを、従来の0.13μm CMOSに戻しての出荷となった。AMDはすでにAthlonの次となるHammerことK8アーキテクチャーの概略は公開していたが、この0.13μm PD-SOIの遅れに足を引っ張られることになった。